これはひとりアドベントカレンダー「日記ぽい」24日目の記事です。最終日なのでまとめる。

このブログのトップページに並んだ記事

23日間、書いてきたことを振り返る。迷子になりつつ、以下の場所にたどり着いた。

  • 日記と言えるものはなんでも日記
  • 効能があるとしてもそれは結果的についてくるだけ
  • 日記に「挫折」はない。

以下、順不同で各記事を見ていく。

1日目「テンプレートとしての日常生活」・2日目「『概念のデザイン』感想」あたりは手探りだった。「日記には枝葉末節を取り上げるべきなのかもしれない」と結論めいたことを初日に書いてしまっている。この時はあまり考えてもいなかった。結果的にはここの結論から遠くにはいかなかった。2日目は単純に読んだ本について書いている。当日に読んだ本について当日に書いたのだから、日記と言い張っても良い。

3日目「ブログは日記なのか」・8日目「架空の日記」・10日目「日記を、日記に、」では、日記という言葉の周辺をうろうろして、日記とはなんなのか、を探っている。3日目で引用した、日国精選版の「できごとや感想を一日ごとにまとめ、日づけをつけて、その当日または接近した時点で記録すること。また、その記録」は日記の定義の一つと言えるだろう。日記と手紙は似てるのかも、とか、日記は燃やされがち、などの発見もあった。

7日目「誰が日記を読むのか」・11日目「なんで日記なのか」・12日目「なんのための日記か」では、誰に向けてなんのために日記書くのか考え、そのひとつの実例として「日記力 『日記』を書く生活のすすめ」(阿久悠)を読んだ。自分のために書くのだ。

5日目「日記本を読む」では日記本の実例にいくつか当たってみた。そして、13日目「『日記の練習』に学ぶ」では、『日記の練習』(くどうれいん)の前書きから「なんのため書くのか」を読み取ろうとした。くどうれいんは「日記は挫折することはない」「日記を書くと生活はおもしろくなる」「日記と言い張れればなんでも日記」といっている。日記に対する姿勢がかなりことなる阿久悠もくどうれいんも「日記を書くことで観察する力が上がる」という趣旨のことをいっている。それをうけて、『観察の練習』を改めて読んだのが14日目「観察も練習」だ。

21日目「季刊 日記」でもまた「日記とは何か」「なんのために日記を書くのか」に関連する記載を拾った。ここでも、「長く続くかどうかすら、実は大した問題ではない」(品田遊)と、「挫折しない」と同趣旨の主張があった。阿久悠やくどうれいんと同じく「書いているうちに結果としてこういう効果がある」と複数の著者が言っていることも確認できた。

中身ではなく、形式やツールを取り上げたのが9日目「フォーマットで思考が規定される(のか)」と20日目「日記書きをサポートするソフトウェア」だ。これらを踏まえつつ、私はソフトウェアを使わず手書きで、マンスリーというフォーマットを基本に来年はやっていく、と宣言しているのが22日目「来年の日記計画」だ。

4日目「アドベントカレンダーのページを作った」は、このアドベントカレンダーのためにやった作業の記録ではあるものの、「日記ぽい」要素が薄いメタ言及だ。とはいえ、「当日にやった作業の記録」だからこれも日記と言い張れるはずだ。

以下は日記を色々試してみたものだ。どれも問題なく日記たり得る。気楽にいこう。