架空の日記
これはひとりアドベントカレンダー「日記ぽい」8日目の記事です。ありもしないことを書いた日記。

架空の出来事を混ぜた日記とか本当のことは何も書いてない日記もいいなとぼんやり思っていた。それはつまり、日記形式の小説ではないか。
日記っぽかった記憶のある小説をいくつか本棚から取り出してみた。
『マーダーボット・ダイアリー』(マーサ・ウェルズ)はタイトルにもダイアリーとはいっている。が、章立てなどの形式も読んで受ける印象も、一人称小説だ。日記とは言えない。フィクションでなければ、こういう日記もあり得るだろう。フィクションというだけで、日記とみなされる範囲は狭くなる。
『猫の舌に釘を打て』(都築道夫)は語り手の手記という体裁の小説だ。日付があり、曜日があり、章タイトルはない。形式は典型的な日記だ。しかし、特に中盤はあまり日記には見えない場面もある。一貫して一人称ではあるものの、会話の客観的な描写が続くところなど、「小説らしい」文章の部分も少なくない。
『禁断のクローン人間』(ジャン=ミシェル・トリュオン)は文書番号と出所、日付がついていたりついていなかったりする「記録の断片」の寄せ集めという形をとっている。広い意味では日記ぽいといえるかもしれないが、書簡体小説のほうが近いだろう。「記録の断片」なので、単純に会話だけの部分もある。普通の書簡体小説よりも自由だ。
『時間旅行者の日記』(藤岡みなみ)は、形式も文章も完全に日記だ。1月1日から始まり、12月31日に終わる。ただし、2016年1月1日の次は2023年の1月2日だ。こうやって毎日、年だけが前後する。そして日付にくわえて年齢も書かれている。
短い時間でこの四冊しか見つけられなかった。他に『箱男』や『エドガー@サイプラス』などが思い浮かんだが本棚から見つけられない。日記形式と言える小説で、思い出せていないものがもっとありそうに思う。
しかしこの少数の例を短時間で見ただけでも発見はあった。日記形式の小説と単なる一人称の小説の境界は曖昧であること。書簡体小説は日記形式と似たところがあり、つまり手紙というのは日記に似ているのかもしれないこと。