The only way to do great work is to love what you do
Steven Paul Jobsが亡くなりました。
わたしが最初に手に入れたMacはバイト先から未払い給料のかわりに貰ったMacintosh SE/30でした。それ以降はほとんどMacしか買っていません。AppleにJobsがいない時代にはSE/30, PowerMac 8500, PowerBook 2400cを買いました。Macが好きになっていました。
そしてJobsがAppleに戻ってきました。彼はすぐに互換機路線を中止しました。この判断は間違っていると当時の私は思いました。
しかしその一年後に最初のiMacが発表されます。半透明で青くてころんとしたかわいらしいデザイン。フロッピーディスクは切り捨てられてキーボードやマウスの接続がすべてUSBになっていました。Jobsが正しかったことを私はこの時知りました。「Hello, again」かっこいいなあ。
その翌年iBookが出ました。おいしそうな色でかわいい形の、でかくて重くてPCカードもないノートPC。テクノロジ好きの人達のあいだでは当初評判が悪かったように思います。でもこれは従来のノートPCとは違うジャンルの製品。「iMac to go」、持ち運べるiMacなのです。
このあたりから、アップル製品は多かれ少なかれ既存のジャンルからはずれた何かであることに気付きはじめました。少なくともJobs復帰以降は。
iTunesというアプリケーションがリリースされました。アルバム・ミュージシャン・ジャンルなどで分類され、ファイルがどこにあるのか分からないその管理方法に最初は戸惑いました。しばらく使って、これは「階層化されたファイルシステム」の呪縛から解き放たれたものであることに気付きました。
その年のうちに最初のiPodがリリースされました。当時はMP3プレーヤは安物乱立時代だったと思います。iPodは、当時としては非常に大きな5GBのHDDをつんで値段もそれなりに高いものでした。しかし画面はモノクロ・低解像度。半信半疑ながら、発売日にとびつきました。
つかいはじめてすぐに、iTunesと同じ操作方法である事、そして5GBという容量はできるだけ全部の音楽を持ち出すためにある事の意義が分かりました。
iMac以降私はこんなふうに、アップル製品が出るたびにその意義をさぐる癖がついていました。全く新しいものを出すのでさぐりがいがあるのですよね。iPhoneが出たとき、これは電話でもiPodでもないと思いました。いまだに何なのかははっきり分かっていません。
これらのすべてにJobsの考えが色濃く反映されているのだろうと思います。
そして今日、あらためて6年前の有名なスピーチを見ました。
Jobs自身が自分の作るもの・やっている事を愛することによって、これらのApple製品はこのような形で世に出たのだろうなあ。