デジタル デバイドって言葉があります。情報格差と訳されることがありますね。
Wikipediaによれば

The term digital divide refers to the gap between people with effective access to digital and information technology and those with very limited or no access at all.

"デジタルデバイド"とは、デジタル・情報技術を十分に利用できる人々と、全くあるいは非常に限定した利用しかできない人々との間の格差のことである

(こじまによる意訳)
最近twitterでの友人とのやりとりで、このデジタルデバイドっていろんなレベルでいろんなのがあるということに気付きました。
もともとこの言葉は、米国で、貧しくてPCも持っていない人々とそうでない人々との間にある格差を表す言葉としてできたようです。
しかし、PCを持っていてインターネットへの接続が出来る恵まれた環境にいる人々の間にも、ある種の格差があります。先に書いた友人とのやりとりは、ネット上の情報を取捨選択するリテラシーにまつわるものでした。ネット上の情報は控えめにいっても玉石混淆。これを選別できるリテラシーがあるひともいれば、ないひともいます(このリテラシーはネットに限らない部分が大きいですが、その話はここではおいておきます)。
こういうデジタル関連リテラシーの格差は、いろんなレベルのものがあります。
例えばパソコンを買う時。よく分からないまま、本来はいらないものをセットで買わされるケースは、それなりにあるのではないでしょうか。ネットブックとe-mobileの組み合わせ販売というのも、見た目の安さにつられてe-mobile不要の人が買ってしまっているのもありそうです。
買った後、使う段階でも格差が出てきます。ネット上の情報取捨選択もそのひとつですね。
他にもたとえば、エクセルの使い方を覚えたひとが、本来エクセルに向いていないことまでエクセルでやってしまうというのをよく見かけます。エクセル以外に向いている道具があることを知らない、あるいは、向いている道具の敷居が高すぎるなどの理由があるでしょう。「なんでもエクセル症候群」と名付けています(勝手に)。
PCが使える環境までそろっていても、その先にはリテラシーによる格差がいろいろあるんだと、改めて認識しています。
そして、曲がりなりにもソフトウェア技術屋である私は、こういう格差の解消に役立てることがないか、常に意識のどこかにおいておくべきなんだろうな。
しばらく前から「なんでもエクセル症候群」の一角を切り崩すことを考えています。近々、それに関することをここに書くかも知れません。