もう秋になっちゃったアロハも着れなくなっちゃった(©クレージーケンバンド)のに、いまさら夏休みをとっています。夏休みは完全になんの予定もなし。これも気楽でいいぜ。
こういう時間は貴重なので、いろいろやろう、というよりは、いろいろ考えるのに使おうと思っています。
わたしは一応ソフトウェアエンジニア(というかプログラマ)として飯を食っていて、年齢的にも中堅なのでチームのマネージメントみたいなこともやっていて、でもオレの売りはなんだろうってのがここ数年わかんなくて足踏みしつついろんな本を読んでますますわかんなくなっていました。ここ2ヶ月ほど、仕事の合間にぐじゃぐじゃ考えていたことを、午前中にあたまの中で整理しなおしたらなんだか何かが見えてきました。
まとめてみると当たり前過ぎるんですが、結論は

  • はやりものに惑わされない
  • 自分が「技術者」であることを自覚する
  • 「技術」の対象を把握し、その本質を理解することに力を入れる

です。
たとえば最近は、開発プロセスの方法論が流行です。どのような手順、決まり事で、ソフトウェアという製品を作っていくのか、ということです。
これ確かにかなり大事なことですが、でも、ずっと座っている仕事では椅子が大事、というのと同じ質の大事さだと思うんです。
大事だから確かな知識をもって、きちんと選ばないといけないけれども、椅子を選ぶために椅子の勉強に没頭したり、椅子づくりの工房を訪ねて遠くまで旅したり、あげくの果てに理想の椅子を作り始めたりすると、それは本末転倒だと思うのです。それは椅子をつくりだすひとの仕事で、使ってなにかほかのことを成し遂げるひとの仕事ではありません。
もし、椅子職人方面の追求が楽しくてかつ充実していているのなら、ソフトウェア技術者としては本末転倒だろうがなんだろうが、そっちに邁進するのもよいでしょう。だって充実してるんだから。
しかし、たとえば「よいソフトウェアを作る」という目的を達成するために、必要だからしょうがないからそっちに力をそそぐ、というのは人生の資源を無駄にしていると思うのです。
あ、これ別館に書くべきことだったか。まだ考えがまとまっていないところもあるので、続きを別館に書くかもしれません。
9月いっぱい夏休み中はもう一度くらい、こんな感じで思ったことをかき散らすかもしれませんよ。心してください。