今年はたくさん映画をみることに決めました

2月に書きました。あれから半年以上、同じ記事で宣言したパン作りはしっかりやってますが映画はぜんぜん観ていません。これではいけないと、先の土曜日ようやく重い腰を上げて映画を観にいきましたよ(腰重すぎるよ>私)。
観たのは、「日本におけるドイツ」のイベントとして行われている特集上映、「ドイツ時代のラングとムルナウ」です。この特集で上映されるのはすべてサイレントの映画で、ヴァイオリンとピアノによる演奏つき上映と演奏なし上映(本当に「サイレント」な上映)、そして『メトロポリス』だけはサウンド版での上映があります。土曜日に私が観たのはムルナウの『ファウスト』と『吸血鬼ノスフェラトゥ』。『ファウスト』は演奏なし、『ノスフェラトゥ』は演奏ありでした。
演奏なしは予想以上に辛いです。動画そのものには集中できるのですがそんな集中力を90分持続するのは非常に難しいです。
演奏ありの、生の楽器伴奏つき映画鑑賞は新鮮でした。そして音楽というものがいかに映画に影響があるのかを実感しました。音楽が盛り上がると、そのシーンは盛り上がっているように感じますし、音楽に一瞬間があくと、そこで緊張感が醸し出されます。今回の伴奏は伴奏者の作曲によるものだそうですが、違う作曲の伴奏で同じ映画を観れば、おそらく違った印象を持つでしょう。無声映画の映画音楽作曲というのは、映画の解釈の表現としては強力な方法ですね。
『ファウスト』は、あのファウストです。ゲーテの戯曲をもとにしているわけではないようで話がちょっと違いますが、老学者ファウストが悪魔と契約して若さを取り戻し、グレートヒェンと恋に落ちるという大まかな流れは同じです。今となってみればフィルムの質が悪くなっていますし、セットであることはみえみえですし、「特撮」も笑ってしまいたくなりますが、それでも話のみせ方はうまいです。各場面の「絵」が陰影もレイアウトもバランスよく、うつくしくつくられています(というにはちょっと画質が悪すぎたのですが...)。
『ノスフェラトゥ』はブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」映画化の元祖です。ドラキュラと言う名前が作中に出てこないのは、権利関係がうまく処理できなかったかららしいです。この作品での吸血鬼は「ノスフェラトゥ」と呼ばれています。肝心のノスフェラトゥが現代の目でみるといささか滑稽な造形であまり怖くないのが残念ですが、演出はよくできています。ホラー映画の原型として有名な作品ですが、今回はじめて観て、そういわれる理由が分かった気がします。
いずれも、俳優の化粧や様式的オーバーアクションな演技などに古さを感じますが、80年も前に映画の基礎となる技法はほぼ出来上がっていたのだなとあらためて感心しましたよ。
次の土曜日はフリッツ・ラング3本立てを観てきます。いずれも140分程度なので寝ないでみられるかどうか。
これらを手始めとして、この後も継続的に映画を観るこころづもりですよ。