在りし日の給水塔
阿佐ヶ谷住宅の給水塔。2013年6月撮影

引越しのきっかけになった八月の漏水さわぎ以降、なんだか不安になることが多かった。理由らしきものはいくつも思いつく。でも本当にそれが不安の理由なのか、と自分でも疑問に思うようなものばかりだった。

先月末、用事があって実家にいってきた。実家といっても今は基本的に無人だ。

わたしには、どこにも故郷と言える場所はない。それでぜんぜんかまわないとおもっていた。でも今になって初めて、それが不安になっているのかもしれない。というようなことを実家にひとりでいて、ふとおもった。

子供の頃から何度か引越しをして、今の実家に私は10年くらいしかすんでいない。実家をでて一人暮らしをしていたところも10年程度だった。その後結婚して最初に住んだ家は、家主の都合で数年後に転居した。次の家は不具合が多く、10年経ずに引っ越した。

いまの家に長く住めるといいなという気持ちは、「ここが私の場所だ」という感覚がほしいからなのかもしれない。

しかし改めてふりかえってみると、私は結婚後ずっと杉並区の阿佐ヶ谷周辺に住んでいる。いまの家は阿佐ヶ谷も南阿佐ヶ谷も最寄り駅ではないけれど、阿佐ヶ谷まで歩いて行くのは苦ではない。すでに阿佐ヶ谷が私の居場所なのかもしれない。

もうこれで安心してよいのではないかと自分に聞いてみている。まだはっきりした答えはかえってこない。