実はできてなかったこと
アメリカ在住日本人の方ふたりが最近ちょっと似たようなことを書いていました。
On Off and beyond: 卵が先かニワトリが先か
そういえば、昔社費留学したとき、夏休みが3ヵ月もあって、私はもちろん世界行脚の旅に出たのだが、日本にダンナさんを残してきていた某邦銀からの派遣の同級生女性は
「ホントに夫と一緒に過ごしたいけど、日本に帰ってはダメというのが会社のルールだから・・・」
とアメリカに残っていた。私が
「日本に帰るとどうなるの?なんか罰則があるの?」
と聞くと、
「そんなのないけど、だめなものはだめなの」
と言われて、全然訳が分からなかった。だって、学校休みなんだし、自腹で帰るんだし、家族と暮らすんだし、何も悪いことをしていない。何がいけないの?と思ったんですが、こういう私のような「納得できないルールには従わない。そんなのしらん」というタイプの人間は、日本では変人扱いされるわけだが、アメリカだとこっちの方がマジョリティに近いので楽です。ははは。
にほんでは「しごとだから」という じゅもんが、あらゆることの めんざいふ として つかわれている。「しごと」が すべてに ゆうせんする のだ。
こどもとの やくそくだって、ゆうじんとの やくそくだって「しごとだから」といえば、なんでも ほごに できる。しごといがいの やくそくは ぜんぶ だ。
じゅぎょうさんかん だって、しごとが はいったら いけなくても ぜんぜん しかたがないし、さいばんいんに しょうかんされても、サーバ かんりしてたら しかたがない。
なんで こんなに しごとが いちばん だいじなんだろう。おかしいと きづかないのかね。きづいてるけど しかがないのかね。それは きづいてないってことと なにがちがうのかね。
かぞく>ともだち>しゅみ>しごと、くらいの じゅんばんが バランス とれてると ぼくは おもうし、どうい してくれる ひともおおいと おもうけれど、にほんでは、しごと>>>こえられないかべ>>>しゅみ>ともだち>>かぞく、くらい じゃないだろうか。
ほんと、しごとだから、なんなんだろう。
や、表面的には違う話なんですが(一方はルールのはなし、もう一方は仕事の優先順位のはなし)、わたしの中では即座につながって、それはこういうことをちょっと前に考えていたからです。
Swine fluあらためnovel H1N1 flu
そういうわけで6月に予定していた海外旅行を延期するかどうかいま悩んでいますが、
- 10日自宅待機になるのがわかっていながら旅行するのは社会人としてどうなのか
- 会社の定めた変なルールにふりまわされて旅行の予定を変更しなきゃいけないなんて癪だ
というのが目下の悩みです。
結局この後いやいやながら6月の旅行は9月に延期したのですが、今度は槍が降ってこない限り予定を変更しないつもりです(という趣旨の宣言を上司にしました)。
で、「仕事だからなんなのか」「納得できないルールには従わない」という、おふたりの意見には激しく同意で、そして普段から思っていることのつもりだったのですが、「社会人としてどうなのか」とかいう基準に基づいて、おかしなルールの影響をうけて個人的な予定をいったん延期してしまうとは、思っているつもりだけで、心の底から実践できていないのだなあ、もうちょっとがんばろう。
と思いました。