アリストテレス『詩学』は読みやすくてわかりやすい
アリストテレスの『詩学』を読みました。大変おもしろい。アリストテレスははじめて読みました。というか、あまりに昔のひとでそもそも読む対象として認識していませんでした。
『詩学』は、アリストテレスが「詩作」についての理論を展開する本です。「詩作」といいますが、現代の目からすれば文学とおきかえてもよいでしょう。
詩作そのもの、および詩作の種類について、わたしたちは論じることにしよう。
と冒頭にありますが、ほとんどが「悲劇」のすぐれた詩作の仕方について書かれています。
物語とはいかにあるべきか、という読み方をすると、いまでも充分に通用するように思います。このころすでに、物語のつくりというのは現代と同じようなものだったのだな。
その認識は常識的なものなのか、先日読んだ『小説のストラテジー』では、エンターテインメントを書くひとは読んでおくべき本、というように言及されていました。
さて、この本では多くの部分でアリストテレスは、明解に分類し、明解に論をすすめ、そして(無理にでも)言い切ります。それが私には面白くかんじられ、また読みやすくおもわれました。いくつか引用してみます。
再現をするものは行為する人間を再現するのであるから、これらの行為する人々はすぐれた人間であるか、それとも劣った人間でなければならない。---というのは、人間の性格はたいていの場合この二つの性質のいずれかに相当するからである。
喜劇は、さきに述べたように、比較的劣っている人たちを再現するものである。しかし、この人たちが劣っているというのは、あらゆる劣悪さにおいてではなく、滑稽なものはみにくいものの一部であるという点においてである。なぜなら、滑稽とは、苦痛もあたえず、危害も加えない一種の欠陥であり、みにくさであるから。
悲劇は行為の再現であり、行為は行為する人々によってなされるが、これらの者
は性格と思想においてなんらかの性質をもっていなければならない。というのは、性格と思想によって行為もまたなんらかの性質をもつとわたしたちはいうのであり--行為には、おのずから思想と性格という二つの原因がある--そしてすべての人々は、このような行為に応じて、成功したり失敗したりするからである。
これら六つの要素のうち、もっとも重要なものは出来事の組みたてである。なぜなら、悲劇は人間の再現ではなく、行為と人生の再現だからである。
すなわち、行為は次の仕方でなされる。
(中略)
以上のほかに別の仕方はない。なぜなら、行為は実行するかしないかのいずれかでなければならないし、さらに、それと知りながらするか知らずにするかのいずれかでなければならないからである。
こんな調子で、平易な論理が展開されます。細かくみると矛盾がある箇所もあるようですが、とにかくわかりやすいことに驚きました。
が、その「わかりやすい」というわたしの浅い読みの向こうにはいろいろあるようで、今回読んだ版には本文88ページに対し注が112ページついていました(しかも注のほうが活字が小さい)。