日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』を読みました。
人間がときに利他的な行動をするのは何故か? それは理性があって、己を律することができるからだ、というのがかつての「常識」でしたが、それだけであれば、ダイエットは必ず成功し、人間は教育で完璧になり、世界は地上の楽園になっていることでしょう。共産主義国家だってうまくいっていたはずです。
そうでないのは何故か?
それは、進化で獲得されたこころのはたらき、人間性に拠るものだ。
というところからこの本はスタートしています。そして、まえがきで結論を先取りして提示します。

 わたしが本書で書きたかったのは、こういった人間の利他性についての科学的な研究の成果を、現代の日本社会が直面する問題にあてはめてみたときに見えてくることについてです。
 その結果見えてきたのは、現代の日本社会が直面している倫理の喪失とは、実は、倫理の底にある「情けはひとのためならず」のしくみの喪失の問題だということです。
 倫理的な行動、あるいは利他的な行動は、それを支える社会的なしくみがなくなってしまえば、維持することは困難です。たとえ他人に親切にしても、それが自分の利益につながらないのであれば、誰も利他的に行動しなくなってしまうというわけです。
 そしてもう一つ、「情けは人のためならず」は、無私の心を称揚する武士道的な倫理観とは相容れないという点です。

この本に書かれる「科学的な研究の成果」の内容は、同じ著者による『安心社会から信頼社会へ』の内容とかぶっている部分も多いですが、なかなか興味深いもので、特に「日本人が集団主義でアメリカ人が個人主義」というのは必ずしもほんとうではない、という実験が面白い。日本人は「みられていなければ」、アメリカ人以上に利己的だという結果なんです。この結果をどの程度信頼するか、というのは難しい話ですが、本に書かれている範囲ではかなり説得力がありました。
これらの実験を論拠に、利他行動をささえるのは自制心などではなくシステムだ、ということを論じ、いま必要なのは武士道ではなく商人道である、という結論までたどり着きます。「品格」や「武士道」を称揚する最近の傾向は危険だ、とも説いています(とはいえ、ナントカの品格、ってのも最近下火ですよね)。
わたしにとってはなるほど面白いな、くらいなのですが、この本の著者が主要な対象としているであろう「品格」とか「武士道」を称揚するひとたちには伝わらないようにも思いました。
「あとがき」に、「読者に伝わりやすいということは文章と展開が論理的であることだと思っていたが、その考えが間違いであることを編集者によって知った」という趣旨のことが書いてあって、えええ、とショックをうけつつ、ではいったいどうすることが伝わりやすいのだろう、ということが気になっています。