料理の楽しさ
昨夜テレビをみていたら、所ジョージの奥さんが手際よく豪快に料理してました。調味料なんて計らない。ほんとうの料理上手という感じで、そして実に楽しそうでした。いいなあ、ああいうひとを目指したいな。
ところでしばらく前に研究目的(笑)で「DSお料理ナビ」を入手して、ちょっといじってみました。
以前こういう料理アプリについてちょっとだけ考えたことがあって(実現手段はPalmを想定)、ふつうに作ると「コンピュータさまの指示のもと手足のようにはたらく」、ようはユーザが奴隷ぽくなってしまうと思い、そこでとまっていたのです。
そこで、あの評判がよいDSお料理ナビはどんなだか見てみよう、という研究目的です。
ちょっと試してみた限りでは、やっぱり「DSの指示のもと、手足のように働いて料理をつくるわたし」という感じでした。見せ方は上手で、声での指示ができるのもなかなか便利そうで、料理用語辞典みたいなのもあって、奴隷ぽいかというとそんなこともありません。
でも料理の楽しさがある面でそがれるのは確かです。カーナビが運転の楽しさをそぐ面があるのと同じで、全体が見えずにいわれるがまま、というのが楽しくないところです。楽しくはないけど、教育効果はあるのか...? というと、それも限定的なように思います。
DSお料理ナビは基本的に手取り足取り、なんですよね。自分で考えなくても料理できます。
たとえば包丁の使い方とかそういうレベルは、いくらDSに教わっても自分で考えて手を動かさないといけませんから、体がだんだん技術を覚えてくでしょう。料理用語もDSお料理ナビで覚えられそうですね。
が、段取りとか、調味料の量とか、何となにをあわせるとどんな味になるとか、そういう応用面は、DSお料理ナビを使っていて身につくかというと、なんだか疑問なんです。
とここまで考えて、これは別にDSお料理ナビにかぎらず、レシピに厳密に従って調理する場合でも、同じではないかと思いなおしました。料理するひとの心構えしだいですね。DSお料理ナビの場合は、レシピの一覧性が悪いので、声の指示にしたがって順番にやらなければいけない分、考えずにいわれるがまま、に陥りやすいとは思いますが。
ところで、料理の楽しさをそぐ、って軽く書きましたが、料理の楽しさとはなんでしょう。所ジョージの奥さんが楽しそうなのはなぜでしょうか。
わたしにとっては、材料を加工していくと料理ができていくこと、それだけでも楽しいです。でも、ひとのレシピから工夫を読み取ること、そして自分で考えて材料や工程を工夫すること、も料理の楽しさのだいじないちぶです。
DSお料理ナビ方式だと、後者の楽しみが感じづらいです。
コンピュータを使った料理支援で、しかも工夫する楽しみもそがない方法はないだろうか、と考えてみたいとおもっています。
でも、所ジョージの奥さんをみると、楽しみのための、コンピュータによる料理支援って本質的には不要なのかなともおもうのです。工夫の楽しみをより深く楽しむために必要なことは、料理の基礎・基本をしっかりさせることだけなのかもしれません。
このエントリはいつも以上にまとまりも脈絡もないので、公開後もちょこちょこ文章に手を入れるかもしれません