間違いを指摘してもらう手段
愛読しているSatoshi NakajimaさんのブログLite is Beautifulに、「大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる」というエントリがありました。
この件でつくづく思い知ったのは、「大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる」という悲しい事実である。
誰のどんな間違いだったのかについてはエントリを参照してください。確かに大人になると、自信満々で間違ったことをいうひとがいたときは(余程親しい間柄でなければ)まずその間違いを指摘しませんよね。
その時にも思ったのだが、「間違いを指摘してもらえる大人」にならなければいけないとつくづく思う。
間違いを指摘してもらえる大人になりたいと私も思います(Nakajimaさんよりも随分低いレベルでの話かもしれませんが)。しかしそのためには何に気をつければいいのでしょうか。
さらに続けて、Nakajimaさんは次のようにいっています。
このブログでも、しょっちゅう誤字・脱字を繰り返している私だが、それを指摘してくれる人には本当に感謝しなければいけない。
ブログや掲示板に誤ったことを書くと、見ず知らずのひとにそれを指摘されることは珍しくありません。その分野の知識があるひとに読まれていれば、指摘されないほうが珍しいです。このへんは生身での会話とはちょっと違いますね。
そう考えると、新たに学ぶことについては、誤ったまま定着させない・誤りを指摘してもらうために、こんな手が使えるかも知れません。
- 学びつつあることをブログに書いていく
- それをその分野のひとの目につくように工夫する
すでに(間違えて)憶えてしまったことには適用できませんし、2.は言うほど簡単なことではありません。が読者の目を意識しながら勉強したことを復習していくというのは、なにかを独学で学ぶために有効な方法でしょう。たとえ実際には読者がいなくて誤りが指摘されないとしても、読者がいるつもりで書くということが、自分の理解の確認になりますから。
というわけでソフトウェアエンジニアの端くれとして、近々「ソフトウェアについて学んだこと、遊んだこと」に話題を限定したブログをあらたにはじめたいと思います。別のブログにするのは、パンや買い物の話題とはあまりにかけ離れてるのが理由です。もちろんこっちはこっちで続けていきますよ。
実はNakajimaさんのこの記事を読んで急に思いついたわけではなく、別途そういうブログをはじめようとちょうど考えて準備していたところだったのです。
ここで宣言してしまったので、近々はじめますよ(自分に言い聞かせちゅう)。