ひろしまさんという方が、漢字をつかわない生活を提唱しています。
ひらがなせいかつ への いざない

「ひらがなせいかつ」を すいしんする (もしくは うざいことするなあ、しねばいいのに、なんてことを いちいち おもわないと きがすまないひとたちの きもちを さかなで することなど、そもそも いっさい いに かいさずに、ほろびゆく ちほう げんごである にほんごの、せんねんごをほんきで うれう、もしくは うれう ふりをする) ぷろぐらむに さんか しませんか。
かけも よめも しない かんじ なんて、がくしゃに まかせて、こどもたちでも かんたんに よめる ひらがなで、もっと わかりやすく かくように しませんか。
この うんどうに さんかしたい ひとは、どうぞ かってに さんか してください。ばかだと おもうひとは、ばとうするなり むしするなり、おすきに どうぞ。

戦後に、日本語の仮名遣いを改めたりいちぶの漢字を簡単にしたりしたことすら、わたしは気に入らないので、これは当然気に入らないのですが、気に入らないからって反射的に罵倒してもつまらないし、「文化の破壊だ!」みたいなステレオタイプな批判をするのはもっとつまらないし、というかそんなの無意味なので、ひろしまさんが何をしたいのか、少し考えてみようと思います。
ひろしまさんは、なぜひらがなせいかつか、の理由についてまだほとんど書いていないので、わたしはわたしで勝手にかんがえをすすめてみます。
ひらがな・わかちがきだけにするといいことは何か? いろいろ思いつきます。
コンピュータでの言語処理が簡単になるのは確かですね。
人間の負荷も軽くなって、たとえば漢字変換での漢字の選択が不要になるとか(これは既にひろしまさんが書いています)、子供はそもそも漢字を覚えなくていいとか、読むときに漢字の読みを考えなくてもいいとか(ほとんどの人にとって、ひらがなだけの文章はたいへん読みづらいでしょうが、しかし間違いなく慣れることはできるだろうと思います)。外国人も勉強しやすくなるでしょう。
こういう合理的なよさはいろいろ思いつきそうです。
でもこういうふうな合理性を追求するなら、なんでそもそも日本語なの? というのが疑問です。というか世界に各種の言語があること自体がまったく合理的じゃないですよね。全部英語にしちゃうのが合理的じゃないんですかね。
なぜ、日本語のあたらしい表記法がいるのか? が分かりません。そうしたほうが、日本語が生き残りやすいからでしょうか? (せんねんごをうれう、って書いてるし)。わたしには、あんまりピンときません。ひらがな表記のみにしないと日本語は生き残れないのでしょうか? というか、ひらがな表記にしたほうが、滅びる確率が下がるんでしょうか。そうだとしたら、その理由は?
合理性をもとめているのではなくて、日本語を生き残らせたい、ということであれば、そこまではわたしもおなじ意見です。
でも日本語を生き残らせたいなら、いまの多様性を保ったまま、生き残らせるほうが楽しいんじゃないかとわたしは思います。世界にはいろいろな言語があったほうがきっと楽しいし、そのかき文字にもいろいろなバリエーションがあったほうがきっと楽しいし、わたしは日本語の漢字かな混じりというのが楽しくて好きです。なくなっちゃうのはつまらないです。
それが無理で、ひらがな表記にしないと日本語はかならず滅びるんだ! というならやむなくそっちを選ぶかもしれませんが。
ということで、ひろしまさんが、ひらがなせいかつをすすすめる理由がやっぱりよくわかりません。わたしがここで書いたことが、考えが足りないか(実際30分くらいしか考えてないし)、あるいは見当違いなのでしょう。
ひろしまさんの今後のエントリに期待です。