ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」本日付にこういう文章がありました。

昔からのともだちに会って、
そういえばというふうに昔の話をはじめたら、
昔というものをよく知らない人たちが
おもしろがって聞いていました。

先日も、昔の話をここで書いたら、
ちょっと反響があったりしてね。
これはアブナイなぁと思いました。
昔から生きている人が、昔の話をして、
それがウケるということも、あるにはあるでしょう。
しかし、これはクセになるとまずいよなぁ、と。
気をつけることにします。
だらだらと「昔はよかった」みたいな話をする人を、
ぼくはあんまり好きじゃなかったはずなので、
自分は、聞かれたら話す、くらいでいることにします。

(「今日のダーリン」は明日になれば消えてしまうので、ちょっと長めに引用しました)
昔話って、聞いてるほうにとっては面白いこともあるし、面白くないこともあります。
でも話してるほうは、いつも楽しいんですよね。だから話すんだけど。
わたしの年齢だとふつう、昔話を聞くことはあっても、はなすことはあんまりない、ような気がするのですが、わたしは特定分野についてはつい昔話をしてしまうことがあります。それは、コンピュータ関連の分野です。
わたしがはじめてコンピュータをさわりはじめたのは二十数年前。初めて買った(買ってもらった)パソコンは、いまのPCからみると隔世の感があります。ハードディスクないし。ネットなんてないし。当時はパソコンを買うというのは、ほぼプログラムを書くこととイコールでした。そのころのプログラミングとは
とまあこんな感じで止まらなくなるんです。話している相手が、このころのことを知らないひとなら「こんなだったんだぜ、すげーだろ」といいたいこころもちだし、当時同じようにコンピュータに触れていたひとが相手なら「そうそう、懐かしいよねー」というふうで、いずれにしても楽しいんです。基本的には自分語りの楽しさなんだろうな。
が、話ながら、なんかこういう昔話って空しいよなあ、なんてことも思っているんです。ほんとですよ。その上、相手が同じバックグラウンドじゃない場合は、こんな昔話は単に迷惑なんですよね、きっと。
バックグラウンドを共有しているひとのなかにも「昔をふりかえるなんて興味がない」というのもいて、わたしもそうありたいな、と思うんですが、でもやっぱり昔話楽しいと思っちゃうんですよね。とはいえ迷惑だろうしなんだかむなしいので、糸井さんと同じように自重することにします。
あ、糸井さんは別に昔話楽しい、とはいってないか。
『時には昔の話を』 cf. 紅の豚
紅の豚