随分前にどこかで、
「昔は、みな自分の着るものを自分で縫っていましたが、いまは服というものは買ってきます。いまではまだ料理は自分でするひとが多いですが、これも同じように、料理は買ってくるものになるでしょうし、そうなるべきです」
という趣旨の文章を読んだことがあります。これをよんだ時、ええー、裁縫と料理は、いっしょじゃないような気がするなあ、でも気がするだけで、明確に反論できないな。ともやもやと不満に感じていました。
ということはすっかり忘れていたのですが、On Off and Beyondのある記事を読んでもやもやがすっきりしましたよ。
On Off and Beyond: メタボリックシンドロームは新たなデミングか

健康的な調理/食事の習慣は、今子育てをしている年代の祖父母、曾祖父母の世代で失われた、とNew York Times Magazineで嘆いている人がいた。家庭の食事に関する知識伝承が、取り返しのつかない昔に途切れてしまった訳です。

このエントリは、メタボリックシンドロームに対する日米の違いが、デミングの品質管理と同じような構造だという、わかりやすくかつ面白い着眼点のものなんですが、わたしは上記に引用した部分に目を惹かれました。
そうか、裁縫と料理のいちばんおおきな違いは、健康管理に直結するかどうか、というところなんだな、と。だから自分で料理できる能力の大事さは、自分で裁縫できる能力とは違う意味合いがあるのだな、と。
そういうわけでこれからも自分で料理していこうと思います。