ここしばらくで、数学関連の本を三冊読みました。以前読んでここでネタにした二冊と併せて紹介します。
1冊でわかる数学 (1冊でわかる)『1冊でわかる数学』
以前感想を書いた本です。今回紹介する5冊のなかでもっともストイックな数学本です。数学は抽象であり、意味は必ずしもない、ということを、すくない紙幅でクールに語っています。少々はごたえありますがおすすめ。

直観でわかる数学『直観でわかる数学』
これも以前感想を書きました。道具としての数学をいかに直観でとらえるか、数学という道具にはどういう意味があるのか、ということを熱く説いた本です。いつのまにか『続 直観でわかる数学』ってのも出ているんですね。どんな内容なんだろう。

数学する精神―正しさの創造、美しさの発見 (中公新書 1912)『数学する精神』
数学が人間の営みであることに焦点をあてた本です。数学の正しさは「絶対的な真理」であり「神の知」のようにとらえられていることがあるが、しかし数学というのは人間によって創られたものであり、人間的なものであるのです。というのがこの本に通底するテーマ。その上で「数学の正しさ」とか「数学の美しさ」とは何か? ということを語っています。
わたしにとって印象深かったのは、第4章「コンピュータと人間」。繰り返しのなかからパターンを発見することや、数学的予想をたてることは極めて人間的な活動であり、機械に同じことはできない、という主張がされています。
ということは、もし機械が知性をもち、機械が数学をつくることができたとしても、それは人間の数学とは異質なものになる(そして、お互い理解できない)のではないかとわたしは妄想しました。

数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書 (1925))『数学でつまずくのはなぜか』
学校教育の数学において、なぜつまずく子供が多いのか、ということを、深い部分から考えている本です。
序文に大事なことが書いてあります。

でも、「どうやったら子供たちに上手に数学を教えられるか」ということを書いた本ではない。どちらかというと、「どうやったら子供たちから数学を学ぶことができるか」、それを書いた本である。
さらにいうなら、「数学がいかに有能で役に立つものか」を押しつける本でもない。そうではなく、「数学を役立てられなくたっていいじゃん」ということを説いた本だ。

浅いHowTo本じゃないのです。真摯に数学と向き合う本です。
章立ては、代数・幾何・解析学・自然数ときて最後の章は「数と無限の深淵」。
最初の「代数」の章でまずは「負の数」の意味をどうとらえるか、というところからはじまります。幾何では、公理系のはなし。これのルールがのみこめないでつまづく子供が多いそうなのですが、思い切り単純な公理系としての「MIUゲーム」の紹介。そして解析学では無味乾燥な文章題ではなく、内容に興味がもてる文章題。地学的な内容を、地学の知識なしに数学のみでとけるような文章題が例としてあげられています。
そのまま一気に自然数の定義、そして無限についての話までたどりつきます。さいごのデデキント無限の話には感動してしまいました。
この本は、数学の意味を深いレベルで問題にしながら慎重にすすんでいきます。このアプローチは『数学する精神』にちょっと近いのですが、より丁寧です。
『直観でわかる数学』も数学の意味を重要視しているのですが、数学側の立場ではなく、とにかく道具としてつかえればよいんだ、といういささか乱暴な趣があります。同じように数学の意味を問題にしていても、正反対といってもよいアプローチです。


もっとも美しい数学ゲーム理論『もっとも美しい数学 ゲーム理論』
上記4冊とはちょっと傾向が違います。題名のとおり、ゲーム理論を紹介する本です。帯に曰く「数式ゼロ! 科学の先端を探検する、文系にもやさしいスリリングな「知」の一冊。」でも本当は数式ゼロじゃなくて2つあるんだそうです:) (どこにあったんだろう?)
冒頭でいきなり、アシモフの「ファウンデーション」シリーズに言及されていて驚きます。
この本を乱暴に要約すると『「ファウンデーション」における、人類の未来を知りコントロールするためのツール"心理歴史学"は架空の学問だが、ゲーム理論は将来的に"心理歴史学"を生み出すかも知れない、それだけではなく物理学を統一する理論(のベース)になるかもしれない』ということをあの手この手で語っている本です。読み物としてたいへん面白く、ページターナー。いいペースで読めます。
少々大風呂敷をひろげすぎているのではないか、という気がしないでもない部分もありますが、とっかかりを学んだことしかないゲーム理論って、実はおもっていたよりずっと奥深そうだな、と認識できました。